ぼっち浪人生のハッピーライフ

浪人生の雑多な日記や考え

学歴と僕

はじめに

 先日、「大卒の学歴は必要なのか?」という書き込みをTwitterで見かけ、少し考えさせられる部分もあったので記事にしてみます。それでは早速本題に入りましょう。

 

※注意:この記事は大卒・高卒等どれが最も優れているかなどと優劣を決める記事ではありません。学歴必要論・不要論に対してこのような考え方もあるのか…!という気付きから個人の考えを記したものです。

 

【おことわり】

見出しごとに異なる内容になっているので、この記事全体に一貫性はありません。

 

 

本題

学歴は必要?不要?

 学歴論争はちょくちょくSNS上でも見かけますが、僕は「人 / 職種による」

思います。一言で必要不要と結論付けられる話ではないと思います。

 例えば人間の五感に頼る仕事ならばはっきり言って学歴は不要だと思います。生まれ持った才能や、成長するに連れて育まれた才能でする仕事なら学歴は不要だと思います。一方で、研究職や開発職などは言うまでもなく学歴が必要です。当然のことですが先に発見された知恵や知識を知らずとして新たなものを生み出すことはできません。できたとしてもそれは天文学的な確率となるでしょう。

 

 したがって、学歴が必要?不要?というのは職種によります。そして付け加えるなら人にもよるでしょう。論争をするとしたら、こればかりは個人の価値観や考え方の差なので決着のつけようがありません。

 

 

学歴と収入

 先日、新型コロナウイルスの流行でアルバイトがなくなり、学費が払えないため退学を検討している学生が一定数いるというニュースを耳にしました。それほどまでに高額な学費を支払い、学び、卒業して就職する。そのような人と、高校を出てからすぐに働き始めた人どちらのほうが収入が高いのか。僕自身も正直気になるところではありますが、やはりこれも職種や個人の手腕に左右されるようです。このことをもとにして学歴は不要という論理の展開が頻繁になされるようですね。

 

 

学校で学ぶ意味

 大学に行くにしろ、専門学校に行くにしろ、一番の目的は全員「学ぶこと」だと思います。しかし、僕は本質はそこではないと思っています。もちろん学ぶことが一番の目的なのは当然ですが、学ぶだけなら一人でもできます。教材を用意して、参考書とともに学びを深めることはできます。でもそうしないであえて「学校に行く」という選択をしたならば、本質的には「人脈を広げる」という目的が含まれているはずです。

 

 大学選びでも、高校選びでも、同じことを学べる学校は複数あったはずです。そこで次の判断基準になったものは何でしょうか。雰囲気、設備、立地などそれは人それぞれだとは思いますが、いずれにせよ「環境」を選んだわけです。「環境が自分に合う」というのは、「自分が求める友人や、知人、先生に出会うことができるかどうか」という意味も含まれているのではないでしょうか。そしてそれはやがて広がるであろう「人脈」が自分の求めているモノになるかどうかを左右する、重要な鍵になるわけです。

 

 

学校の知識は生活に役に立たない!

 学校で学ぶアカデミックな知識は役に立たない!微分積分なんてできなくても生きていける!!という声を聞いたこともあります。それは僕もそう思います。しかし、諦めるという行為は、自らの可能性を秘めた道を自らの手で閉ざすことにほかなりません。もちろん様々な理由で閉ざさざるを得ない場合もありますから、一概に批判することはできませんが。

 日常生活で4次方程式を解く必要に迫られるとか、そういうことが起こりうるとは想像しづらいです。ですが、その一見意味のなさそうな勉強が、後々になって間接的に役に立つ可能性はあります。可能性がどのくらいなのか、高いか低いかは検討もつきませんが、少なくともゼロではないのです。ゼロでないとしたら、挑戦し続ける価値は十分にあるでしょう。潤沢にある時間と優れた環境に置かれている時期にこそ、経験して損はしないはずです。

 

 学ぶことすべてが幸福で楽しいことなのか?と聞かれるとそうではありません。知りたくなかった事実を目の前にすることもあるでしょうし、理解が追いつかなくて苦労することも多々あります。しかし、そこから得られるものは知識だけでしょうか。それを乗り越えるために重ねた、努力し続ける力も身についているはずです。そこに、アカデミックという視点から必然的についてくるものが学歴なのであって、学歴自体は人間の価値を語る武器ではないのです。「能ある鷹は爪を隠す」という言葉がありますが、隠しているわけではありません。僕が思うには、見せびらかす必要がないからです。本人なりに夢中で努力した結果ついてきたものであって、だれもそれを目的に努力するのではないはずです。なぜかって、そんな明確なゴールを簡単に決められてしまうほど、あなたの人生は薄いものではないでしょう。

 

 好きなことで生きていく

 「好きなことで生きていく」というフレーズを大々的に盛り込んだCMを目にしたことがあります。好きなことで生きていくには、まず好きなことを見つけなければなりません。そしてそれは盲目的であるより、たくさんあった方がある意味豊かといえるかもしれません。見つけ方はそれぞれでしょうが、まず存在を知らないことには見つけようがありません。そのために学校の勉強があって、役に立たない知識と片付けてしまうか、役に立たせるかは結局本人次第なのです。それを広い視野で持つと教養であり、マクロな発見をすると興味につながるわけです。いずれにしても知識のベースがなければ好きなことを見つけることすらままならないのかもしれないなと思ったキッカケでした。そういう意味では学歴はもちろん、歴にこだわらずとも学ぶ楽しさを知るとよいのかもしれません。

現代社会と学歴

 ここ最近はYouTuberがなりたい職業ランキング上位に入賞することからわかるように、学歴不要とも言える職業で成功を収める例も多くなってきています。第一次産業第二次産業が開発され尽くした現代の日本社会で、大きな成功を収めるためのハードルは上がってきています。そこで次に開かれた市場がエンターテイメントです。そのエンターテイメントは双方向なものであり、従来のものとの差別化も図られています。しかも、多くの人にチャンスがある。つまり学歴や人脈に縛られることなく、成功を収めるチャンスがあるということです。このことから「学歴は不要」という人はおそらく、「学歴は不問」な時代に変化したというほうがより適しているのかなと考えました。

 

 

おわりに

 学歴論争一つをとっても様々な意見があるようですね。このテーマについてどちらが優れているか結論は、冒頭で述べたとおり出すことはできません。なんといっても僕自身は浪人生という立場ですから笑

 様々な意見があってこのテーマに関してはきっとすべての意見が正解なのでしょう。その人にとっての正解であるはずです。ですから余計に結論付けることはできないわけです。これについて唯一僕自身の結論を出すならば、「優劣をつける行為そのものは無価値なことで、それをエサに他人を貶めるようなことがあってはならない」ということです。意味がないとは言えません。心理的に動くものがきっとあるのでしょう。しかしその行為自体に価値がないことは明白です。

 

 

 

今回のように短い文章をまとめて記事にするのも楽しいですね。Twitterより長く、ブログより短いみたいなちょうど良い量で書きやすいです笑

非常にダラダラとした駄文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。健康に過ごしましょう。